プロフィール
はじめに
【ブランドリペア専門家】の誕生は幾つもの偶然の重なり合せでした。この奇跡を体験出来た事に感謝します。
あなた自身もいずれ体験する事になるでしょう!
ブランドリペアの専門家
こんにちは。
私は59歳からネットビジネスを始めました。そこで、紹介されたリペア転売副業をする、【ブランドリペアの専門家】です。チョッと遅咲きの珍しいタイプです。
以前の私は、「ネットは怖いもの」「ネットは怪しいもの」と真剣に思っていました。何処か暗い闇の世界に迷い込んで帰れないようなイメージがしていました(笑)
「個人情報や、顔写真が漏れたり流出してしまったら、本当に大変!」と思っていて、SNSも観る専門、アイコンもペットの写真で、何もかもすごく慎重派でした。
×2のシングルマザー
それが今ではどうでしょう、顔出しをしてYouTubuをしたり、出先では、自撮りをしてはしゃいだり!×2のシングルマザーをネタで使い回したり、挙句の果てに、「あなたもリペアで副業をしてみませんか?」と自ら呼びかける羽目になってしまいました。
多分私の頭のネジが2~3本飛んで無くなってしまった感じですかね(笑)面白いです。
実際にネットの世界に入ってみると、そこは想像以上に楽しい世界でした。怖くもなく、怪しくもなく意外と「普通」で、日常的でした。鏡の向こうのマトリックスの世界ですが。繋がっています。
そこで私が出会った方々は親切な方が多く、いずれも問題解決のスペシャリストさん達ばっかりでした。
お陰様で私は困り事をスピーディーに解決出来ました、ありがたい存在に出会えました!
ネット上でお世話なり、その後からリアルでお会いする事に又なりました。凄く嬉しいかったです、素敵なご縁に感謝でした。そこで、リペア転売副業を紹介されました。
ブランドリペアの専門家の雫が落ちた瞬間でした。問題解決のスペシャリストさん達が私に「新しい運命」を運んでくれました。本当に不思議です。私はラッキーでついています♡
リペア副業で稼ぐ
私はその後、リペア副業で稼ぐことが出来たり、いろいろな偶然が重なり今では会社にも行かず、24時間自由な身になりました。のんびりと、ウサギと暮らしています。
先日も帰りの切符を買わずに、北海道に行ってきました。北海道の方もすごく親切で、知人にあちらこちら連れていって頂き、すごく良かったです
また、別の日には、近くの戸隠神社の奥社で、東京から来たトラベラーのお姉さんに、「良かったら、一緒にいかがですか?」と声をかけたことがきっかけで、1日観光案内をする羽目になりました。思いがけない展開に自分でもビックリでしたが、素敵な1日を過ごすことが出来て、私は大満足でした。
チョッと変り者の私はこの様に毎日を楽しく過ごしています。そんな私にも大切にしていて、どうしてもお伝えしたい事がありますそれは信念!
喜ばれると嬉しいと日々楽しく
私の信念は、【喜ばれると嬉しい】と【日々楽しく】です
そしてこのブログの目的
【リペア転売副業で月5万円を通じて、自由な時間と豊かな暮らしをその手に!】
をかなえる為の情報発信をしています。
怖がりなネット初心者だった私だから、あなたにお伝え出来る事があると思います。
「エー、でも、そんなこと言っても、私には無理ー‼」の声が聞こえてきそうですが、以前の私もそうでした。こんな自分自身の変化を想像すら出来ませんでした。ので、あなたがそう思われるのも無理はないです。
それが.正常です。
でも、そのできない理由は,全てやる理由でもあります
・だって時間がない⇒⇒⇒だからやる!
・だってお金がない⇒⇒⇒だからやる!
・だって家族が⇒⇒⇒⇒⇒だからやる!
とても簡単に切り替わります。それは右手の中指と親指でパッチンと鳴らすだけです、試しに鳴らしてみてください!
「アッツそっかぁ★ その手があったのか★」と、こんな閃きからスタートして欲しいです。
頑張らなくても何だかうまくいってしまう楽しい世界です。良かったら,のぞいて行って下さい。
1 私のストーリー
リペア転売副業の実績です。どうぞ!
リペア転売副業の実績
いかがでしょうか。
利益率が高い事がわかると思います。
ネットで仕入して、ネットで販売して完全在宅ワークです。それではストーリーに戻ります。
幼少期~20歳:農家の早教育を受けて育つ
私の名前は三七子(ミナコ)
1962年4月26日生まれ
名前の由来は昭和37年生まれから来ています。
3人兄妹の中間子、両親と5人家族でした。
実家は超限界集落の旧大岡村で、北アルプス展望台が標高890mにあり
見晴らしがよく180度パノラマの大迫力です。
♪朝の雲海光の海を超えて連なるアルプスよ♪黄金の雲海見て育ちました。
農家の早教育
家が兼業農家でしたので、子供の頃からクワやカマを使いこなせる、農家の早教育を受けて育ちました。父は何でも自分で作ってしまい、ユーモアもあり,優しい人でした。
母も優し人でのんきに構えていて、鼻歌を歌っている悩みのない人に見えました。
2人は365日晩酌をしていて、たまに酒に飲まれて豹変する父におびえました。が、
泥酔した父の足に妹と2人でマジックペンで落書きしました、父はお風呂に入っても「もったいないから」としばらくそのままでした。優しい♡そんな父のあぐらは妹の指定席…でした
学生時代の部活はバレーボールと卓球部でした。学校はよく休んだり。遅刻していくタイプでした。女子トークが苦手でぶりっ子を冷めた目で眺めていました。姪っ子に「三七子姉ちゃんは頭のいいヤンキーだたんでしょう」と後で聞かれたことがありました(笑)(いやいや学年1位は1回しかないから)、バイクに乗ったり、遊び中心の楽しい学生時代でした。
花鳥風月を存分に味わう
大岡の中でもさらに辺鄙な場所に家があり、通学時間はいずれも約1時間でした。私の丈夫な体の基礎が作られました。また、花鳥風月を存分に味わいました。風のにおい!風の音、枝がこすれる音、強く吹く風、夕立の前の温かい感じ、大好きでした。移り行く雲の様々な様子、森羅万象、小さな生命にも,美しいなあー、きれいだなー面白いなーとかっこいいよ!と瞳を輝かせている乙女でした。
この会社一筋43年間勤めて
就職先は進路指導の先生の紹介で長野市では有名なサロンに入りました。その当時珍しい全寮制でした。とても、アットホームでそこで、私は仲間と切磋琢磨する羽目になりました。社長さんとは大岡の同郷のご縁もあり、この会社一筋43年間勤めさせて頂き、退職しました。会社勤めは一筋だったのですが、プライベートでは苗字が複数回変りました(汗)一生添い遂げることができませんでした。
20歳~33歳 ブランド品との出会いイケイケな私
私があなたと同じぐらいの年齢の時、今から30年度程前になりますが、「バブル期」がありました。”マハラジャ”と言うディスコが出来ました。ワンレン、ボディコンや、「私をスキーに連れてって」が流行っていて、私は原田知世ちゃんが大好きでした。地方都市の長野でも睡眠時間は3~4時間のイケイケな毎日でした。
なので会社の研修旅行も海外旅行でした。【ブランド品】との出会いもその頃でした。ハワイでルイヴィトン、シンガポールでルイヴィトン、パリでルイヴィトン、とそんな感じでした。私だけでは無く皆そうでした。(笑)
人生の絶頂期の始まり
私の人生の絶頂期の始まりでした。
今考えるとすごく恥ずかしくて、勘違い我まま女子の三七子さんです。面白いからもう少しお付き合いを。映画「プラダを着た悪魔」みたいに変貌していくさまが笑えます。
職場は全寮制のサロンでした。人間性と技術の向上を目指していた会社で,沢山の先輩がいて、同期も沢山いました。24時間のルーティンが決まっていて、年間スケジュールもしかりありました。遅刻したり休んだり自由な学生時代とはだいぶギャップがあり、私は1か月で無理~絶対やめてやる!と思ったことを憶えています.(汗)が、反対にいつでもやめられると思ったらなんとなく頑張れました。不思議です。
花嫁着付けの講師になったのもこの頃
また、コンクールにも強いサロンでした。私も技術の修得に夢中なりました。25歳でサロンの店長になって、30歳の頃バブル絶頂期で郊外のゴージャスな新規オープンの店長を任されました.花嫁着付けの講師になったのもこの頃でした。この辺りから、バックだけでなくスーツなどもグランド品で身を飾り始めました。イヴサンローランのショッキングピンクのスーツを買ったのもこの頃だと思います。肩パットが入っていて金ボタン、首にエルメスのスカーフをしていました。かなりやばめです。だいぶ勘違い悪魔の三七子さんが仕上がりました。
1回目はいわゆる三高青年とお見合い婚
内面の本当の自分は自分自身に自信がなく見た目より乙女な三七子さんです。結婚は「結婚してください!」と言われた人にしようと決めていました。今やイケイケ悪魔に変貌した私に「結婚してください」と言ったのは、お見合い相手のお父さんでした!?そのお父さん主導で話が進んで行きました。「じゃ~マンションはどう?」「じゃ~新婚旅行旅行はハワイで?」「結納はこの日で?」とドンドン進みます。面白い!私も負けていません「じゃ~お土産に欲しいのはこのブランドバックとこのブランド靴が欲しいです」と返しました。
1回目はいわゆる三高青年とお見合い婚でした。結婚式で仲間の皆に長野オリンピック音頭を振袖姿で踊ってもらいお祝いしていただきました。師匠には無理を言って「花にたとえたら、、、」スピーチしていただきました。ちなみに、何の花に例えていただいたと思いますか?答えは「菊」その理由は菊はわき芽がたくさん出て、その都度っ剪定したり、水やりといろいろと目が離せないから、と言うことでした。。1本仕立ての大輪の菊にするのに,私は大変手がかかったのでした。隙があればいつでもやめてやろうと思っていたので、大変忠誠心にかけていたと勘違い悪魔の三七子さんでしたから、お師匠さん申し訳ございませんでした、大変お世話になりました、仲間の皆もありがとうございました。皆さんにすごくよくしていただきました.このように大変盛大にお祝いされて、憧れのキラキラな新婚生活のスタートを切っったはずなのに、勘違い悪魔とはどこかボタンの掛け違いのようないびつな形のままで、どこまで行ってもずれたままでした。
私は婚礼写真が出来上がる前に・…
私は婚礼写真が出来上がる前に、新居のマンションを引っ越していました。その時婚礼家具を運び出す運送業者さんたちの姿がまるで棺桶を運ぶ人達に見えました、中身の伴わない、高く伸びた鼻はへし折られ、憧れが、音を立てて崩れ、1回目は終わりました(涙笑)
×2シングルマザーワンポイントアドバイス
三高青年に会えば幸せになると勘違いしていた。見た目や条件よりも本人の内面が重要で、お互いに努力と修正が必要。何よりも感謝の気持ちが私にはかけていました。また私自身が依存症であることと主体性に欠けていたことに気が付く事が出来た。
33歳~44歳 年下だメンズが私のいい人の勘違い
2度目の結婚は36歳でした。いざ自分で結婚相手を選ぶとなると、こんなにも違うのかと、ビックリです。7歳年下、色白、指がキレイ、細身です。もし子供が生まれたときに似てくれたら嬉しいな!とおもっていました。全部見た目!こういう人をミーハーな人と呼びます。頭が空っぽの人です。
この時もあちらのお父さんが大変喜んでいただき、話を進めくれました。信州の北信硫という形の結婚式を挙げて貰いました。流暢な詩吟が流れる昔ながらの結婚式でした。2度目の嫁さんの私は、自ら着物を着て雛壇に座りました。結婚式は何度挙げても楽しいですね。飲めや歌えやで大賑わぎです。そんな中すやすやと生まれて数か月の息子は94歳のひい爺さんのあぐらの中で何時間もお利口にしていました。
店長としてフルタイムでした
相変わらず、反省しない我まま三七子さんは、店長としてフルタイムでした。なので2人目が生まれた後も、子供のお世話はあちらのおじいちゃんおばあちゃんに任せきりでした。協力してもらって当たり前と、勘違いしていました。息子の作文には僕のお母さんは、[7:00に家を出て11:00に帰って来る」と書かれたり、なんやかんやで明け方の帰宅になった時は、皆で起きていて心配されました。大変協力的な家族に恵まれた私は幸せ者でした。
ある日・…借金取りが
ある日、普通に勤務していた私あてに「借金取り」からの電話が入るようになりました。2人目の夫は年下だメンズのギャンブラーだったのです。うすうす気がついていましたが、見ないふりで放置していて、こうなりました。ここからの展開ももの凄くスリリングでした。
親戚からの借金に加えて、ローン会社の借金も何百万円になっていました。家の土地の権利証で借金をしたり、面白いです。任侠映画さながらの事がいくつもありました、極めつけは反省ない年下だメンズを説教しに来た方が「マグロの○○にするぞー」と怒鳴られていました(悲鳴)いろいろなスペシャリストさんがいるようです。
その頃の私は最悪でした。いつもイライラしてました。疑心暗鬼でした。
ちょっとした事で部下の失敗を責したり、保育園の先生の対応が気に入らないっと切れたり。廻るお寿司屋さんの注意に逆切れしたり。息子の友達のお父さんともめたり、あっちでぶつかり、こっちでぶつかり酷かったです。さんざんでした。まさしく疑心暗鬼の鬼嫁と呼ばれていました
「○○は死ななきゃ治らない。子供たちは環境に順応するから大丈夫!」と実家の母の言葉でした
築27年のアパートに3人で引っ越し
結局アップダウンの激しいい家から離れて、娘が小4の時に2部屋しかない、外階段の家賃42.000円の築27年のアパートに3人で引っ越しました。この時私は初めて×2シングルマザーになりました。少し静かな環境になれたかな?と思えました。子供たち2人は淡々と仲良くいい子でした。というよりは、いい子に強いてしまっていました。ごめんね!弱い立場の人に強いの立場を行使するのは大人げない、優しくない恐い三七子さんでした
私は恥ずかしくて、「×2シングルマザー」をひた隠しにして、仕事をしていました。昔からの馴染みの方は私がこのような状況になっているとは気が付かなかったかもしれません。自分で自分自身を一番認められなかったのでしょう。どんどん世間が狭くなり、理不尽な状況になってしまい、自分自身が困った訳の分からない厄介な存在と軽視していました。
人生最大の挫折と感じました。
×2シングルマザーワンポイントアドバイス
結婚は魂の成長の場所と最初から捉える。理不尽を受け入れ感謝の場所と捉える。捉え方が全てなので、はっきり言って誰と結婚しても同じ、もしくはしなくても一緒と思います
私は3人兄妹の真ん中で、親の顔色を伺いいい子ぶっていました、その割と自己肯定感が低く、嫌われているかも、幸せになれないかも?とつまらない事をよく考え、自分自身が不安定で厄介な性格だった事に気が付きました。あっちこっちぶつかって結果魂の成長に繋がったことが分かりました。
45歳~58歳 ラットレース (2007~2020)
この頃の私は、まさに「ラットレース」でした。
当時”99%の人たち(99%)”という言葉が流行りました。99%の人々は貧富の格差の縮小や金融機関や大企業への規制強化や政治への不満を募らせて、ウォール街を座り込みやデモで占拠しました。このことはSNSで拡散させたり、各地で同様のデモが起こりました。返還されたばかりの香港の扱いも私にはショックでした。「自由」は難しものと感じました。自分自身と重ねて見ても、私は従業員で会社の中の歯車の一つ、として働いている!ありがたくて抜けられないと矛盾に思っていました。
×2シングルマザー三七子さんの辛かった事
×2シングルマザー三七子さんの辛かった事
1:時間的に仕事と育児の両立は仕事優先で子供たちのことは後回しになっていた
2:お金がなくて常に支払いに追われいた
3:息子を大学に行かせられなかった事で将来の不安があった
4:不機嫌や八つ当たりが酷くて、自分自身の自己肯定感がどんどん下がった
5:子供の病気や怪我をした時すごく心配だった
6:仕事の責任者のプレッシャーや職場の人間関係で疲れていた
7:親戚や友人に頼れづ、ひとりで抱え込んで、孤立、孤独感でいた
8:思考停止でただただ「ラットレース」状態に毎日をやり過ごしていた
9:男女問わずに理解者が欲しかったが、声を出せなかった
10:ずっと違和感を感じていたが私は99%と諦めていた
もし、あなたが、この中の1つでも同じ悩みを抱えていらっしゃるのなら、大丈夫です!今の私はこの悩みはことごとくクリアーしてしまいましたから、あなたのお悩みにお答えできます。
58歳から始めたネットビジネス
私はサロンで働いていたので、独立してみたいという期待もありました。もし独立するならば”一人サロン”でをネットで検索していた時に、とても衝撃的な動画に会いました
【LTVセミナー(前編)~LTVとその計算】加藤将太さんでした。 LTVセミナー
の動画です。良かったらクリックしてご覧ください。
結果的にこの人からネットビジネスを学ぶ事にしました。ここでは全くの初心者からでもネットビジネスの基礎から学ぶことができて、自分の仕組みを持って起業を始めることができる。オンラインスクールでした。
パソコンもプリンターもない状態から
58歳から始めた挑戦でした。パソコンもプリンターもない状態でしたので、教材のpdfをプリントアウトするのにはどうするの?さっぱりわからない、からでした(笑)
あそこで諦めていたら、今の私はなかったので、当時の三七子さん本当に頑張ったね!とほめたいです。
難しかったタイピング、終了試験は娘が代理人で、
修行中大変だったのはタイピング練習でした。オンラインスクールにも試験がありまして、1分間に200打をクリアーするものでした、
目指せブラインドタッチ‼私は農家の早教育を受けて育ったので指が太くて手のひらも大きいです。(はっきり言ってコンプレックスですね!)まさかパソコン相手に格闘する羽目になるとは思いもしませんでした。
ノートパソコンのサイズでは上手くいかず、わざわざ外付けのキーボードを買いました。4か月かかっても半分チョッとな感じでした。カレンダーに記録をつけながら練習したのを覚えています。
私はこのタイピングの試験だけは駄目でした。終了試験は娘に代理人で受けてっもらって1発クリアーでした。
嬉しかったです。ネットで稼ぐということは、文章で物を売るということ、文章が書けないのは、タイピングができないから、タイピングスキルは必須です。
あなたのタイピング速度はどのぐらいですか?教えてください。なので今も練習しています。が、
このタイピングの問題はパソコンの拡張機能の音声認識で解決して頂きました。有り難くいい時代です。
起業スクール卒業、アマゾンセラーへ
2年間いろいろな勉強をして起業センスが磨かれました、今までは自分の仕事に関するだけの知識でよかったのですが、いろいろ見方が変わりました。
一つ例を上げますと、テレビショッピングで物が売れるしゃべり方の順番や、いいチラシの構成要素、ビジネスモデルのキャッシュポイントなどを凄く興味深かった内容です.
どれも古代からある弁論であったり、その気にさせて行動を起こしてもらう、方法論など様々な分野でも今も使われている手法でした。
私たちは気がつかないところで都合の良いように動かされてしまっているようです。怖いですね!そんな裏事情が知れたことが良かったです。
壊滅的な私のパソコン音痴は、少しずつアップしていきました。やればできるものですね、皆さんのようにお若い方は当たり前のようにパソコンが使えますが、年齢には関係なく、やっぱり、このパソコンを使いこなすとが出来る様になると、百人力です。
一緒に暮らす息子にも感謝です、「そこまでできたんでしょう」と絶対教えてくれませんでした(汗笑)スパルタでした。お陰で分からないところを調べられるようになりました。
自分自身で大きなミス
ネットビジネスの初心者が始めやすいのがAmazon 物販でした。アカウントを作り登録をし確認書類を作成したりzoomで認証していただいたり全て初めてのことばかりでした。
一つ一つクリアしていくのはゲームを攻略するようで楽しい作業でもありました。今になるとどうしてあそこでつまずいてしまったのか笑えるくらい簡単なところでつまずいていました。つくづくパソコン音痴なのでしょうがないですね。
すごく大変な思いをしてやっとこれからAmazon セラーになれる、ところまでこぎつけたのに、変に細かなところが気になってしまうタイプで、大きなミスをしてしまいました。
それは自分自身でアカウントを削除してしまった事です。
何を言っているのと疑問を持た方もおられると思いますが、Amazon はアメリカの企業なので色々な文章も英語で書いてあります。翻訳の機能も覚えたはずなのに、
私はそこをよく確認もしないままyes, yes, yes,と3回yes,を押したら自分のアカウントが消えていました。(涙汗)自分自身で消してしまった、自分のアカウントはもう二度と復活することはできませんでした。
3月16日の出来事でした。私は数十年前も3月16日に致命的なミスをしたのを覚えています。私の特別な日です。
ライバルは自分 失敗の原因も自分
わがまま三七子さんは、いつも自分は正しい人でなくてはいけないと思っていました。
自分に厳しい人は他人にもきついですし、他人にも正しさの強要をしていました。何かと文句をつけたりジャッジをするのも好きですぐに白黒つけて考えていました。
もう少しこの白黒つける考え方が少なくマイルドとか中庸という言葉をたくさん使っていたら周りの人もきっと働きやすかったのだろうなあ、もう少し自らを反省できる人間性があれば、協力して補うチームワークを築くことが出来て、人を信じる力を持っていれば、人間関係のストレスは少なかったかもしれません。
悪口、陰口オンパレード
当時の私は悪いのはあの人で私は悪くないとか、平気な真顔言っていました。愚痴、恨み事、ねたみ、悪口、陰口オンパレードでした。嫌な人でした、感謝がなさすぎました。
今回のAmazon セラーのアカウント削除の事件は自分自身の身から出たサビで、自分以外に責める人は誰もいません
、私の全責任です。私は痛い目にあって初めて学ぶことができました。
失敗はチャンスと捉えて感謝
人は失敗から学ばなければいけません。失敗と捉えるから失敗と決まってしまいます。ですが失敗は成功の母と捉えることができれば、チャンスで前向きな出来事と考えることができます。大事なのはものの捉え方次第で出来事が起きた時にどのようにそれを捉えるかでその現象は変わってしまいます。
失敗と捉えれば失敗。チャンスと捉えればチャンス。同じ出来事でも考え方ひとつで結果がすごく変わってしまう。というのもすごく大きな学びでしたまた。
人生のターニングポイントにもなりました。ここからはポジティブ感謝ザルの三七子さんの誕生です。
自分の内面世界に気が付く
その後私は数冊の本に出会い、自分の行動が自分自身の意思でなく、他人軸で生きていたことに気づきました。その本の題名は
一冊目は「ユダヤ人成功哲学タルムード金言集」石角完爾著(いしずみかんじ)と「神メンタル心が強い人の人生は思い通り」星歩著の本です
長い間私は、勤め先のルールに従って生活してきたので、人に合わせることはできても,自分自身が一番望んでいることは、我慢していたのかもしれません。そんな我慢していた感情を気づかせてくれる本でした。結局この半年後私は適応障害という病気になり勤め先に出社することができずそこから退社してしまいました
まさかの適応障害に
我慢することは体に悪く結果病気になりました。病気になってずいぶん引きこもっている間も、色々な方から声をかけていただいたり、お手紙を頂いたり電話をいただいたり、励まされましたありがたいことでした。
人の言いなりになっているのは楽ですが、やはり受け身になってしまい。どうしていいかわからなくなってしまいます。私の人生なのに人が操っているみたいです。一番変えるところは受け身の自分から主体的な自分になることでした。凸凹でポンコツな自分自身も受け入れてそれでも私は私。これで生きていくんだ!これで幸せなんだ!と自分自身を認めることが一番必要でした。
リアルな会社という組織から全く外れ、私は今までの人間関係からある日突然身を引くことになりネット社会のお友達が中心になる生活に変わりました。
新しい人たちとの出会い
ネット社会のお友達は自分で会社を経営していたり自由な時間の多い方が多かったです。リアルにお会いする機会にも恵まれ自由業の方は背広は着ておらず、持ち物はスマホにお財布、 履物はサンダルの方もいました。面白いです。
中には家も車も持たず、ずっと旅行をして暮らしている方もいらっしゃいました。めっちゃ驚きました。
あの時の病気があったおかげに出会える人たちでした。どの方も問題解決のスペシャリストでした優れている人は優しい人。
60歳 昨日の自分を超える
人間関係による様々な悩みは、恐れ・不安・嫉妬心・怒り、といった感情が自分の心の中に湧き上り、何度も繰り返し自分で妄想し続けている負のループです。
その悩みの原因を消すために、他人を変えようと努力をしたり、我慢をしたりしました、1回目の離婚、2回目の離婚、と外側の相手を変えることは何も意味がありませんでした、決して悩みは消えることは無く、それどころか、かえって厄介な状況になってました。すごく苦しかったです。
人生の強制終了
この後、私は交通事故を起こします。これを引き金に病気になり会社を辞める、強制終了が起こりました。一瞬の出来事でした。これは私の【おかげさま】の仕業でした⁉
なぜならば私自身が一向に気づこうとしないので、【おかげさま】がしびれを切らせて強制終了をしたのではないかと思います。全てのことが、私自身の【心の波動】が出している結果だったということに、気が付いてい無かったからです。
「よくあの人のオーラはすごいね」という言葉が使われますが、実際人間の体からは波動が放たれている。ということがこの2冊の本で分かりました。感情も固有の周波数を持っている、そして同じ周波数のものは引き寄せ合うということでした。負の感情には負の現象が引き寄せられるということです。
1冊目は、『あなたが宇宙の創造主(クリエイター)』地球で生きるスターシードたちへ送るメッセージ 市村よしなり著
著2冊目は、現象が一変する「量子力学的」パラレルワールドの法則 周波数帯が変われば現れる人物ことが変わる 村松大輔
何度も何度も痛い目にあってもたどり着くことができ無かった波動の法則です。
、自分の心の波動を変えたら
真の悩みの原因は自分の中にある、ということがようやく分かり、自分の心の波動を変えた時、外側の現象も変わり人間関係も好転することを体験しました
もっと言うならば困った状況は自分自身で作っていたということです
お金に困った・支払いに困った・子供が言うことを聞かない・職場の人間関係がうまくいかない、全てそれは私の出していた波動の結果に過ぎなかったのです
自分自身にこんなすごい力があるなんて思っていませんでしたから、すごく驚きです。
昨日の自分を超える、新しい自分に生まれ変わる!そのための条件は何でしょう?
まずは私自身が・ご機嫌で・明るく・楽しく・心の底から幸せと、思える波動を出し続けることです。そうすると楽しい結果が現れてきます。幸せを言葉に出すと、もすごく効果があります。中でも感謝して『ありがとう』と言うと、一瞬で高波動に変われるそうです。
私は朝目覚めた時に100回ぐらい『ありがとう』を言います。これをすると涙が出るくらい嬉しいことが起こるか、何も起こらないか、お任せです、どちらでもいいのです。
気になる方は試してみてください。
平凡で何もない日が最高!感謝
最高級に幸せな1日は平凡で何も起こらない1日と小林正観さんは言いました。
平凡な1日にこそ感謝をし幸せを噛みしめることができたら無敵です。目の前の現象に文句を言わずありがとうありがとうと言える自分に変われたことが私の一番大きな変化でした
もともと私達は100%完全な存在だったことに改めて気がつきました。
このようなきっかけになる本がありました2011年10月に惜しまれながら死去された小林正観さんの本でした
【運命好転12条】小林正観著 天運を味方にする方法・、仕事人間関係・健康・お金・「幸運が一生続く人」の秘密!
もう一冊は【喜ばれる】小林正観著 ありがとう!と喜ばれることを続けるだけで、不思議といいことがやってくる。神仏を味方につける超シンプルな法則。自分も周りも共に幸せ!(最近では100冊以上小林正観さんの本が出版されているようです)
小林正観さんは宇宙の法則や面白い現象を集めた方でしたその中に【おかげさま】守護霊さまの使いこなし方や、神様の使いこなし方などが、紹介されています。
実際私も試してやってみています。中でも感動したのは病気でドロップアウトして、引きこもっているダメダメな私は、全然ダメダメでなくて、「完璧でそのものが素晴らしい存在だ」ということに気づかせてもらいました
メンターに感謝
私のメンターはネットで私を助けてくださった方です。何回も奇跡的に私を助けてくれましたこの人の出会いもおかげさまが用意してくれたのかと思うと感謝しかないです
新たな旅立ち
三七子さん3.0の誕生ですね。うさぎとご機嫌に暮らして、潜在意識を使い、おかげさまを使い、何だか面白くて、なんだか楽しい、人生を過ごすことを決めました
私の母は悩みのない母でしたと私が思ったのでそういうお母さんでした。
兄に言わせると頭のいいお母さんだった、頭のいいお母さんだと思ったから頭のいいお母さんになったのです。
妹に言わせると悩み事の多いお母さんだった。悩み事を相談されていたから悩み事が多いと判断して悩み事が多いお母さんになった。
お母さんは1人なのにとらえる方は兄弟でバラバラなので面白いです。正確には私たち自分の都合のよくこうなったらいいなでもならなくてもいいけどでもなったら嬉しいなこんな風に毎日を過ごしていくと1年後2年後どんな風になっているか本当に楽しみです
長い長いプロフィールを読んでいただきありがとうございました3.0の三七子さんは始まったばかりです。これからも注目して時々遊びに来ていただけたら幸せです。今日はどうもありがとうございましたそれではまた、ラブ&ピース、ありがとうございます。